突然ですが、今日から禁煙しようと思います。
長年休み無く吸ってきたし、カードを申請しなきゃ買えなくなるし、そこまでして吸いたいか?と自問した結果、やめようと思うのである。
酒を断つのは無理そうだが、忌み嫌われる風潮にあるタバコくらいは、やめられるのではないだろうか。
それに吸っているタバコは1ミリであり、タバコ界では最軽量である。それで今まで満足出来ているということは、多分ニコチンを欲しているわけでは無いと思うのだ。もうクセになっているだけだと思うのだ。
それに、以前はファッションの一環として吸っていた時期もあった。しかし昨今は、吸っていない方がインテリな感じがする。(勝手に思っているだけ)容姿的に絶対に吸いそうなのに、
「あ、禁煙席でお願いします」
と平然と言えるのが、今やカッコいいと思うのだ。ファッションは時代と共に変遷する。世の風潮にあわせたファッションをするならば、タバコは断つべきではと考えるようになった。
それに毎回周囲から、
「え!?吸わないの?」
と驚かれることに酔いたい、ええ格好しいの自分もここに在りきなのだが。
長年ヘヴィースモーカーだった叔父も、検査で影がうつった一件以来スパッとタバコを絶っていた。なんて意志が強いのだろうと叔父を評したが、いや、まてよ、ただ自分が可愛いだけじゃないのか、と最近は思っている。
父親も50を過ぎてからタバコを断ったが、当初は、
「オレはタバコを断ったのではない、休んでいるんだ」
との姿勢を変えなかった。タバコの誘惑に負けた時でも、
「タバコの休止期間終了だ」
と言って、父親の威厳を保つためが理由だったのだろう。しかし休止宣言が復活することは無く、今後も復活は無さそうだから、今も父親の威厳は保たれている。
相方の浪岡は、タバコの値上げがあった数年前にタバコを断つ宣言をしたが、数ヶ月後に平然と吸っていた。それを突っ込むと、
「数ヶ月間オレはタバコを断つことに何の苦労も無かった。いつでもオレはタバコをやめられる。だから吸うのだ」
これは今でも理解に困る回答である。
タバコを断つ意志というのは、やはり大変なものなのだろうか。叔父のように自分の体をこれ以上傷つけないようにとか、父親のように「休止中」として復活もありえる事を示唆しておくとか、浪岡のように強引な自己帰着でいまだ吸い続けるでもなく、
「今日から一生タバコはすいませんが吸いません」
と宣言するのは、難しいのだろうか。意志一つか・・・
体に異常もなく、休止という言葉でごまかす事も無く、強引な理由などもつけず、タバコをスパっとやめられたら、叔父や親父以上に、男らしい事ではないだろうか。
だからここに宣言します。タバコはやめる。
しかし本日を宣言の日に選んだことに、オレの意志の弱さを露呈してしまった。親父の遺伝だろうか、オレも逃げ道を作ってしまった。
今日はエイプリルフール。