あるニュースのタイトルを読んで、思わずふき出してしまった。
『スピリチュアルカウンセラー、江原啓之氏の霊視した人物は生きていた!』
という見出しだ。
こちら
江原啓之氏はインチキなの??
江原氏が霊視したとされる某女優のお父さんは、実は存命であった!とニュースは言っていたのだ。
こちらも興味深い→
前世は「中世の賢者と貴族」ばかり 江原啓之の「摩訶不思議」
心霊や神秘なものに多大な興味があってわりと信じるほうだが、江原氏の場合はどうなのだろうか。
正しい比較になるかどうかは分からないが、同じように霊と交信ができる
イタコがいる。
イタコという“職業”は、目の見えない人には神秘的な力が宿るという位置づけとし、霊との交信を働き口として生活に困らないようにしたのが起源と言われている。
『江原氏の霊視した人物が生きていた!』というと、誰もが突っ込みたくなるのは、誰とその時に江原氏は交信していたのか、という事である。
もし魂というものが存在し、霊視というのはその魂と語り合うというのなら、故人でも生きている人間でも同じではないだろうか。だって魂って生きている人間にも宿るし、肉体が滅しても残るのでしょう?それならば生きている人間とでも交信は出来るという事になるから、苦しい江原氏のもって行き場をそこに見い出せるかもしれない。
しかし江原氏バッシングはまだまだ止まらないようだ。イタコのほうが突っ込みどころ満載だけどなあ。外人の霊がイタコに降りてきても言葉は青森なまりになるし・・・
イタコが霊と本当に交信ができるかどうかは分からない。でもそれを追求したり否定する人はいない。逆にそのイタコの交霊で癒されたり故人を思ったり、イタコを通して故人の声とされる言葉を受け止めて、今を生きる自分の事を考えたりできる。
インチキでもなんでも、自分にとっては生きるプラスに働くと思うがどうだろう。信じる信じないは個々にゆだねられるわけだし。
仮にインチキ商売だったとして、そしてそれがこれからも擁護されたとして、江原氏自身の人間としての価値が下がるだけであろうから、本人がそれでよいならよいのでは?
だからそんなに江原氏を追求して叩くようなことでもないでしょう。
基本的に一人の人間を多数が叩いている場合は、少数派の擁護側に回りたくなる。