死体が放置されるも、異臭がきっかけで気付かれるという事件がある。
死体を放置され、異臭と共に発見されるのは、屈辱的な人間の最期に思う。
自身に置き換え考えてみた。
死後数週間たった僕の遺体を確認する親族と友人。異臭ただよう僕を、あまりの臭さに耐え切れず鼻をつまみながらのご対面。
そんなの僕は絶対に耐えられません。
人生の終わりの印象が、
臭い!
だなんて・・・。
「終わりよければ全て良し」
という言葉が日本人の美学として浸透している。
でも僕が皆に与えた最期の印象は、臭いだった。有臭の美とするにはあまりにも強引だ。
殺されて放置されたらとても寂しいけど、死後何日も経った腐りかけの僕を発見するのだけはやめて欲しい。
殺されたりそれを放置されたりしても運命として受け入れられる。
しかし、死んでからの事はオレの運命とは別のところにある。
責任をもって全うし受け入れ態勢のある運命。しかし運命外のことは運に任せるしかないでしょう?
死臭ただよっている期間を避けての死体発見が望ましいと考えるのは、自分だけではないはずだよ。