日本科学未来館へ行った時のことだ。
プラネタリウムなんて、小学校の時の社会科見学以来だった。
大都会東京ではここくらいだろう、星空が見えるのは。
プラネタリウムを作ってまで星空を見たいのか、東京人は。ならば都内の繁華街を2、30個潰して、夜に星が見えるようにすればいいのにと、皮肉たっぷりの感情で天井を見上げる。
そして照明が落とされ、プラネタリウムは始まった。
かなり良かった。感動したよプラネタリウム!!
何がオレのツボに入ったかというと、谷川俊太郎の詩が朗読されながらプラネタリウムが展開される所だ。ダラダラと星の説明がされるのかと思ったが、それは違った。
CMでも使われていた「朝のリレー」に匹敵するような、壮大な視野の詩。闇をテーマにした詩だった。想像をはるかに超える未知の宇宙に思いを馳せる時は、谷川俊太郎の漠然とした、太古の人間が星空を見上げて空想したようなそんな詩が、ぴたりとはまっていた。
プラネタリウムで宇宙に興味が湧いたけれどほんと、人間はちっぽけだ。宇宙時間にしたら人間の一生なんて、まばたき一回でしかない。
宇宙規模に考えた地球は、そこらへんに転がる石くらいの存在でしかないと思えたし、その石ころの上で生活するオレの存在なんてゴミのようだよ・・・。
昨日の悩みや、恋愛感情の悲しみや、社会は理不尽だと考える事など、ほんとあまりにも小さすぎる思いに感じた。
宇宙からみたらこんな小さいスケールの地球の上で、小さい心どうし、小さい利害関係どうしが展開する小さな人間の争いは、ほんとくだらないと思う!もうやめたらどうだ。
プラネタリウムに行く事を世界規模で義務化したら、きっと争いは減るはずだよ。
プラネタリウムに行っただけで、心から地球を愛でたいと思えた。壮大な宇宙空間にひょんな事から出来た地球にひょんな事からオレは生まれ、そして今を生きているこの奇跡。
地球で起こる色々が対岸の火事ではなく思えた。飢餓や戦争や溶けゆく氷河や、砂漠化や大気汚染に、愛でる地球が心配になった。
想像を絶する壮大な宇宙から、銀河系の、地球の、日本の、東京の、池袋の、西口の、とある居酒屋の、そこでおいしそうに焼酎を胃に流し込む、このオレの存在ってなに?
壮大な宇宙から見た自分の存在は疑わしい。宇宙が未知であるのに、その宇宙の中にあるこの場所に自分が存在するのが、どうして未知でも何でもないのか、とても矛盾だ。
オレの頭では想像も出来ない。なにがあるのかまだまだ疑わしいこの宇宙の中で、自分は唯一無二である事は確かか?これを読んでいるあなたもそう?
未知な宇宙、疑わしい宇宙にあって自分が今存在している証拠は、いったい誰が提示してくれるの!?
コギト エルゴ スムなのかこれが?嗚呼・・・