変態!変態!
変態こそ人間の活力だ!
変態を辞書で引いてみる。
「性的倒錯があって、性衝動が普通とは変わっている状態。変態性欲」
とある。
普通?無難?普通の性衝動とはなんだ。
陰茎を膣に挿入し、ピストン運動→快楽その後の射精の、交尾をしたい衝動か。
子孫を残したいが為に適したパートナーを見付け“フツーに”お付き合いし、結婚という法の囲いを設けて種付けたい衝動だろうか。
全くエロくない人間と、かたや最高にエロい人間が並んだ時に、魅力を感じるのはエロい方であるのは明確だ。
それを内包しているか開放しているかが、単純な魅力の放出であるならば、オレはやはり後者を選ぶ。
結婚し、向上心のない性行動で毎日を過ごした所で、妻は他に走るは明確だ。
性を公言するのがタブーな女性に、オレは魅力を感じない。
性をタブー視する事が、人間のHAPPYを半減させる。
相手側からのHAPPYを考えれば、なぜに過度な性衝動は変態か?
向上心をもった性衝動の行き着く先が変態とくくられ怖がられるのが怖いのか。それともマンネリな性衝動に飽きられそして相手が他に獲得される恐怖を自分が増幅させてしまうか。全てはお前に委ねられる。
需要と供給が満たされるは、フリーダムの象徴。
そこにおいて供給を発しなくなった人間は空疎だ。
クソ製造機に生きるのみ。
需要も供給も求めない人間など、いなくなればいい。この世に不要である。
変態に限った事ではない。
変態に行き着くであろう向上心が活力の源ならば、それをなくした人間になりたくはない。ただそれだけの事だ。
源泉の枯れた人間にはなりたくない。
オレは生きとし生けるものの存在意義たる、変態を求め続ける。