オレは日常会話も、文体も、バンド曲の歌詞さえも、露骨な表現ではなく、
奥歯に衣着せる表現が好きだ。
二人きりの女性との飲みの席でも、抽象的を匂わせる口撃を放ち、相手の想像力をもってして、その潤みはじめる唇からの回答を待つ、つかの間の沈黙にドキドキしたいんだ。
マルキ・ド・サドという作家がいる。
あの作家から「サド」というSMの言葉しか連想できないのは、サド氏に失礼である。
調べたところ彼の最大の評価は、性表現がタブーとされたナポレオン統治のフランスで、露骨な描写を避けた(かい潜った?)比喩に比喩を重ねて読み手に想像をさせる、美しきエロスの表現方法のようだ。
ネット上に氾濫するエロ画像を夜な夜な集め自慰行為にふける、性描写全盛期の現代人には、絶対に培われないような表現方法だ。
タブーな時代ゆえに培われた、あの言い回し。
読み手の想像力によって、生かすも殺すも、(勃つも濡れるも?)自分次第だもの・・・
女性器は美しき花に例えられ、男性器は荒々しい剣や棍棒に例えられる。
その比喩の多用が、作品をよりキレイなものにしているみたいだ。
キレイな表現よりも、攻撃的性癖の語源になってしまった、「サド」なる言葉。
サディスティックな部分ばかりクローズアップされているようだが、そもそもサド侯爵から拝借した「サディスティック」なる言葉は、彼の最大の評価である、遠まわしの誘惑を含んだ意味の言葉、露骨な下心表現を避ける、奥歯に衣着せる言い回しの意味であって欲しい。
「サド」なる言葉の意味は、そんな綺麗なルーツにすべきに思う。あの秀逸なエロスの比喩表現を確立した、マルキ・ド・サドの功績を讃えるならば。
茶道 佐渡が島 サドンデス さあどうです? サンドウィッチ サトエリ
全ての似通った言葉から、SMなんかを連想しない為に・・・