・め メジャー、インディ、どちらがいい?1作目のアルバム『Vanishing Vision』でメジャーデビューを飾れる可能性もあったのだが、YOSHIKI曰く「インディーズでまだ何も残していない」として、敢えて自身のレーベル・エクスタシーレコードからリリースしたのである。
発売後一週間で初回の1万枚を売り切り、すぐに追加プレスだったようだ。
ヨシキの思惑は的中、インディーズアルバムで初のメジャーチャート入りという記録を作り、レコード店での発売記念サイン会は、千人のファンが殺到したため中止となったほど。
1,000枚売れれば大ヒットというインディーズ界において、誰もが信じられないような数字だった。メジャーのレコード会社でも、ロックは3万枚でヒット作と言われていた当時である。
その後もインディーズチャートで独走を続けた「VANISHING VISION」なのだが、このアルバムが何枚売れたのかはYOSHIKI自身も知らないとの事。
あるインディーズ専門のレコード販売店が、エックスに報告することなく、勝手にCDをプレス、販売していたようだ。YOSHIKIはマスターテープを預けっぱなしにしていた。
当然その分の印税はXに入らない。これを知ったXはそのレコード会社を訴えるのである。裁判も行われ、実際にYOSHIKIも何度か法廷に足を運んだという。
勝訴に終わるのだが、その後、各種の契約にかなり慎重になったのは、このようなトラブルを経験したからと言われる。
でもソニーにしてやられてしまったのはこちら。
そしてその翌年、2作目のアルバム『BLUE BLOOD』でメジャー・デビューを果たしたのだ。
HIDEはメジャーデビューを実感したのは、Xを見に来たファンが自分と同じように髪を立てているのを見た時だった。
TAIJIは父親に「22歳までにプロという肩書きがなかったら、おまえをうちの会社の者全員使ってでも探し出して、頭を丸坊主にして俺の手元に置くぞ」と宣言されていた。
なので22歳の誕生日一週間前にメジャー契約をした事が、凄く嬉しかった模様。
PATAはメジャーへのこだわりはとくになく、「レコードがもっとたくさん店に置けるようになるんだ」という程度だった・・・。
YOSHIKIはインディーズで人気が出た後も、メジャーとの契約は1年近く悩んでの決断だった。
いい音楽を創りたい、もっと勉強したい、それにはお金も環境も必要である。
インディーズのままライブをやって、テープやビデオを作りプロモーションも自分たちで・・・というのには限界を感じていた。
音楽以外の労力に時間とエネルギーを奪われ、いい音楽を創るための環境がどんどん崩れていくよりは、メジャー契約をする方がいい、そんな決断であった。