四十になって身に降り掛かった事の一つに、涙腺が緩みやすくなった事を挙げたのだが、それはより感傷的になったという事なのだろう。
辛いものや映画の恐いシーンが苦手になってしまったように、抗体が衰えたとも言えるのだろうか。そんな事で感傷に至る事はなかったのに、最近は心が脆くなってしまったか。
朝霞の某小学校校庭脇を通り過ぎる時、何の気なしに見ると、女の子が一人ブランコに乗って漕いでいるのである。別に仲間外れにされているとか、そういった事ではなかったと思う。女の子の前方にバスケットゴールがあるのだが、そこでは数人の児童が遊んでいた。
女の子は、そもそも一人で遊ぶのが好きだったのかもしれない。隣で一緒にブランコを漕いでいた友人が、たまたまトイレへ行っていて、一瞬一人になっただけだったのかもしれない。
でもオレはその後ろ姿を見て、何とも言えず感傷に浸ってしまった。
数年前に閉校した五戸南小学校に通っていたのだが、住まいは父親の職業柄、学校敷地内の教員住宅だったのである。
小学校一年の時に、未就学の妹が校庭でたまに遊んでいるのを授業中に見ていた。
周囲は森に囲まれた、街からは孤立した小学校だったから、妹の遊び相手は遊具くらいだった。
そして校庭で一人遊んでいた妹は、ついに学校へと来てしまうのだが・・・それはこちらに以前記したとおりだ。
そんな昔の妹の記憶が、ブランコに乗っていたその女の子と重なったのだろうか。