豊原の夢遠く・・・
RÖUTE地名シリーズ、頭狂・サンフランシスコ・恐山・ウラジオストクに次ぐ曲なのだが、やはり訪れた場所の方が思い入れがある。
ハワイに行った事もあるが、メタルとかロックには不向きな風土である。やはりオレは暗いのだろうか。ハワイの風に吹かれつつキミを思う~云々は無理。
NYもいつか曲にしたいと思っている。HIDEのセレブレーションみたいな歌詞のイメージである。
サンフランシスコには行った事が無いのだが、フルハウスを好きでよく見ていたし、ベイエリアスラッシュもよく聴いていた。当時無謀にも本気で移住を考えていた。
新曲「サハリン」、歌詞の意味がよく分からないという意見があったのだが、当時日本だった南樺太、県庁所在地というか「樺太庁」のあった現ユジノサハリンスクは、豊原市という日本最北の市だった。
長崎原爆と同じ日、日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連軍に南樺太は侵攻され、住民は北海道等へ追い出されたのである。日本軍も多数捕虜となった(いわゆるシベリア抑留)。
去年九月にそのユジノサハリンスクを訪れたのだが、日本の栄華の跡はほぼ見当たらず、かつての日本橋は違法駐車が並び、落書きだらけだった。侵略した地や人への配慮など、不要なのだ。
年間の降水量が800ミリ程度のかなり乾燥した気候のユジノサハリンスクとの事だが、オレが滞在した二日間、ずっと雨だった。日本は残暑にもかかわらず、手がかじかむほど寒かった。
追われた祖国を思う気持ちとは、どういうものなのだろう。恨む気持ちだろうか。誰を?ソ連か当時の日本軍部をか。
いまはもう夢のように遠い場所と、諦めるしかないのだろうか。
先日水道橋で飲んだあるミュージシャンの母方はサハリンが故郷との事だが、思い入れは無く親戚一同、あんな寒い所には帰りたくない、とも言っていたようだが・・・