オレは300年前を見るほうを選ぶ。
なぜなら未来は変わるかもしれないし、自分がもしかしたら変えられる力を発揮するかもしれない。いや、発揮したい!
ノースヴィレッジ氏に言われてハッとしたのだが、毎日聞いているNACK5も言っているのだ。「make the future」、未来を築く、である。
いま見に行った300年後どおりではないかもしれない世界を見ても、意味は無い。でも過去は絶対に変えられない、変わっていない。
このままいったら訪れる300年後にショックを受け、いまに生きる人類はこれじゃいけない!と奮う、そんな意味では未来を見たい気もするが。
でも、いまの日本の状況を見ればあきらかにノーフューチャーだから、どちらにしろ奮わなければいけない事に変わりはないのか。
仮に今より良い世界だったとしたら、それは常に危機感を持って日本を良くしようと思い、微力ながらだが三百年前にそれを続けていたオレの一助もあるのだ、と悦に浸れるだろう。
最近落語にはまっていて、ちょうど三百年前はその辺りの時代背景だから、江戸に行ってみたいのである。長屋の生活や、失われた古きよき日本を見てみたい。
そして、先祖にも会ってみたい。岩手の宮古まで行くのは困難そうだが。
いまの自分があるのは先祖のお陰なのに、曽祖父の名前すら知らない。宮古のあたりで漁師だったと聞くが、それ以外の情報は無い。
当時に携帯カメラなどもあるわけが無いから、情報がほとんど無いのは当然なのだが・・・三百年後には何代も前の先祖を、PCに取り込んでいる鮮明な写真で確認が出来るのだろう。
300年前は享保のあたり、飢饉とかあった時代か。落語などの大衆芸能が生まれる天下泰平前、それに向かう勢いみたいなものはあったのかな?
タイムマシンでたまに来る、自称未来人は本物か否か、これも自分の研究テーマであり、この手の話しは興味が尽きない。