TVもラジオもない青森から首都圏に移住し10年。普段実家に電話する事もないし、実家からもオレに電話が来て近況などを聞かれることもない。
便りがないのはいい便りとはよく言ったものだ。
お盆と正月近辺に掛かってくるなら帰省の有無の確認だと瞬時に思えるが、それ以外の日に前触れもない電話だと、ちょっとドキっとしてしまう。
親父が倒れたか飼い猫キヨハルが死んだか、はたまた家族に凶事があったかくらいしか急を要する電話は来ないと思うので、瞬時にその内容が予想できない実家からの電話は怖ろしかったりする。
帰省の有無の確認以外に電話をする切っ掛けというのは、家族の誕生日くらいしかないと思う。
しかし、今月の母親の誕生日はすっかり忘れていた。覚えにくい凡日10/9・・・
1/11や4/29や7/4などはとても覚えやすいのだが、10/9はどうも昔から覚えづらかった!と逆切れしてみる。
息子からの連絡を待っていただろうか?と、実家へ思いを馳せてみるとなんとなく苦しい。
はあ~ママに会いてえなあ。会ったら会ったで特に何をするってわけではないのだが、なんでこういう気持ちになるのだろう。マザコン?いや、依存はない。
世の中頭で自己分析出来ない事って沢山あるな・・・。
なぜ山に登るのか、それはそこに山があるから、みたいな感じだろうか。その発言で「ふ、深い!」と思う人間をオレは浅いな~と思っていた。
山に登る理由を順序だてて自己分析出来ない登山家の逃れ論だと。
しかしなぜ母親に会いたいのか自己分析が出来ない今、それを借用するしかないのだ。会いたい理由、それは母親だからと。
しかし一ついえるのは、その存在を目で確認したいというだけなのかもしれない。その存在を会って確認したい、たとえそれが数秒でもそれだけで安心感を得るのかもしれない。
とりあえず早く帰宅して電話しなきゃなモードになっている。