食肉の是非に葛藤する。人間至上主義の地球の現状に。
しかし肉を食べたい自分は、至上主義の一員でしかない。
自称愛猫家も、絵空事を語る動物好きか。愛牛家ではないから牛丼が平気で食えるのか。
自分自身の健康が損なわれる酒やタバコよりも、食肉をやめられるであろう自己説得力は、まだ救いでもあるのかな。
実践しない有言不実行の罪悪。
食すだけの目的で他生命を大量生産出来た人間の進歩と、その恩恵を得て満たされるオレの胃袋。
葛藤。答えを出せぬ弱い自分。
毛皮以外でも今の時代、暖かい防寒具はいくらでもあるのではないか。
そういう事から気持ちの持って行き場を見い出せるか?
でも毛皮をはがされる苦しみと、分解される牛の苦しみとに、どの程度の差が?
野良ネコを虐待して喜ぶのも人間の嗜好で、牛のサーロイン部分が大好きだと言うのも人間の嗜好である。
虐待されて壊される猫と、細かく破壊して人間の嗜好に合ったサイズにされる牛とに、何の差が?
嗚呼、そんな差を決定付けるのも、人間至上主義の世界での話しか。
見なくてもいいものは見ないと気が楽だが、見えて気付いて良かった事も沢山ある。
オレもどっぷり人間至上主義に生きていると気付いた。良かった事だ。
気付いたのにそこを根本から変えずは愚か。
実家でかわいがっている猫のエサは、牛肉が原材料だった。しかしその日も変わらず猫をなでた。