小学校の頃、世の小学生のご多分にもれる事なく、ビックリマンシールの収集に全身全霊を注いでいた。
日本全土で社会問題にもなったビックリマンシール。おまけのシールだけをGETし、中身のチョコは捨てるという行為が横行したのだ。
最近世界の共通語になったMOTTAINAIに逆行するような行為だが、もちろん自分はその最前線にいた。
最盛期の頃は、近所の商店に行ってもすぐにビックリマンはなくなり、希少価値が高かった。
ロッテならぬロッチなる、まがい物まで出ていた。
少し離れた店に置いていると聞くと、親にせがんで車をチャーターしてまで欲しかった。
そんな世の大流行など無縁に見える田舎の商店ですら、その流行を察知し、ビックリマンチョコを一個だけ袋に入れ、他はとくに欲しくもないお菓子を詰め合わせて300円くらいで売る、いわば抱き合わせお菓子袋を売る店まで出始めたくらいだ。
「ビックリマンチョコ(30円)が一個欲しかったら、この300円の袋詰めごと買わなきゃ手に入らないよ」
という事だ。本当に大人ってきたないよね。
今考えて、オレの小学校のときの選択は正しかったと思えることが、一つある。
それは、より希少価値の高いシールを物々交換でGETしたことだ。
ビックリマン争奪戦を生き抜いてきた世代なら周知の事実だが、希少価値の高いシールとはヘッドのことである。
ヘッドとは数ある雑魚シールの中で一枚しかない、いわばボスキャラのようなシールである。
ビックリマンコレクターは当時、数をいっぱい持っていることが悦びである者が多かったように思う。しかしオレは量より質派だったのだ。とにかくヘッドをGETする事に情熱を注いでいた。
だから、悪魔シール50枚とヘッドシールを交換とか、もっと希少価値のあるヘッドなら天使シール100枚を支払ってヘッドシール一枚をGETとか、そういう物々交換をしていた。
オレにとって悪魔シールもお守りシールも天使シールもヘッドに比べたらハズレであったが、それでもそのシールを集めてコレクター仲間からヘッドをGETできるという事を知っていたので、無下にはしなかったのだ。
このようにして、ビックリマンワールドを形成する主要ヘッドを次々にGETしていった。
しかし!
肝心のブラックゼウスだけはついに手中に収めることが出来なかった。小学校の時はもちろんだが、今でも継続してブラックゼウスは探している。
ブラックゼウスがこのビックリマンアルバムに鎮座するまでは、オレはビックリマンコレクターを公言出来ぬのである!なんたる不覚!誰か持っている人はいませんか?
WANTED!
最近ビックリマンシールの復刻版が出ているようだ。
ビックリマンホロセレクションなるものだが、どうもそれには価値を見い出せない。
カレースナックも当初邪道に感じていた。その弾のシーズンから次の弾に行ってしまうと、前の弾のシールは買えなくなるという希少価値が良かったのに。なんて刹那のシーズンか。
カレースナックで買えばいいや、という思いが生じる事がなかったから、みな躍起になって買い求めたのだ。
最近出たビックリマンホロセレクションには、復刻版と分かるようにシールの裏に表記があるが、カレースナックのものは表記がなかった。
まあ、今となってはカレースナックものも希少価値は高いが、ビックリマニアとしては、やはりタイムリーなチョコバージョンだよなあ・・・
注:私の家に遊びに来たかたは、必ずビックリマンアルバムを見せられ、自慢されます。
人の価値観って十人十色で面白いと、自分の事ながら改めて思う。
住んでいるマンションが火事になった場合、ギターとビックリマンアルバムと、部屋に飾ってある人間椅子和嶋さんとのツーショット写真を抱えると思います。
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