実家で飼っているネコ、キヨハル。
彼もこの世に生を受け十余年。現実的な話し、そろそろ寿命も近づいているのではと、ふと考える。
今のところ元気に走り回っているが、カラダの弱い彼のことだから、いつも覚悟だけはしている。その時は寂しいな。
ニャンコも人も一つ屋根の下暮らせば、ヒト科とネコ科の違いはあれど家族だから、その時の喪失感をしっかり覚悟していないと、なかなか抜け切れないだろう。
寿命でこの世を去るのなら寂しさに耐えるだけでよいが、事故死にだけは気を付けてほしい。まあ彼は外に出るも、庭の周囲をウロウロするだけだから大丈夫だろうけど。
キヨハルが死んだら、剥製に出来ないかと思っている。そういうサービスをしている業者ってないものかな。死んだらすぐに冷凍保存しておいて業者に渡し、数週間後に剥製となって届く。
ウチに来る宅配ドライバーにも絶賛されている、あの毛並み。死んでから土に埋めるのは忍びなくてね。
でも、空になった肉体は土に返すのが自然なのかな。
喪失感から、剥製になったキヨハルにモーターか何かを取り付けて、生前のように動かしてみたり。スピーカーを内部に取り付け、録音していた彼の鳴き声をリモコン操作で再生してみたり。
現代技術を駆使してサイボーグ化したりして。ドラえもんの祖たる、元祖ロボキャット。
死んでからもなお、おもちゃのように“かわいがられる”キヨハルなのであった。
ダリアのジャケットを意識して写真に臨んだキヨハル
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