今の日本は豊かな国だ。豊かな時代に生まれたオレだ。
セレブな人の優雅な生活がよくTVで取り上げられるが、自分の生活もそのセレブたちと雲泥の差があるとは思わない。
雨風と寒暑をしのげる住居に住み、電気も水にも苦労はしない。徒歩圏内のスーパーで腹を満たす食料にありつけ、ビールは冷蔵庫で冷やし、TVを見ながらそれを飲み、ベッドで暖かい布団に包まれて眠り、プライベートに守られた24時間使用可能なシャワールームもある。
オレはアウトドアが趣味の一つなので、毎年キャンプに行く事を楽しみにしている。
一通りテント用具一式を所持している。キャンプ場でレンタルすることも可能だが、それをキャンプ場の管理人に頼みに行くたび、
「バーベキューコンロは一台300円になります。寝袋もレンタルされますか?それはちょっと割高で500円。寝袋の下に敷くマットね、600円になります、まいどあり」
と、じわじわ小銭をせしめられるのがイヤで、一式そろえたのだ。高級な家具を買うわけでもなし、そんなに高くないし。
キャンプとは、世俗の不自由のない暮らしに慣れてしまった所から生まれた、生活水準の高い国の贅沢娯楽だ。お金を払ってまでして、電気もガスもラジオもない、普通に考えたら嘆かわしい、
あの歌詞にありそうな生活を求めるのだから。
不自由さと引き換えに、肌で感じられる自然を楽しめる醍醐味。あとは自然と一緒に飲む酒か。(やはり基本酒のわたくし・・・)
キャンプ生活を余儀なしに生きる人々もいるこの地球上で、どれだけ贅沢な娯楽だろう。
大自然を満喫したいその場所にテントを張って野宿をするのが醍醐味なのに、自然が整備され管理された、宿泊費の生じる自然アミューズメント化キャンプ場に行くというのがそもそも、邪道なのである。
やたらな場所でキャンプの出来ない狭い日本の事情もあるから仕方ないけれど、もっとサバイバルな状況で自分を試してみたい気持ちはあるのだ。男なら誰もが感じる事ではないだろうか。
大自然の中にあってもやはり世俗の生活水準は最低限変えたくなくて、やれシャワーだとか、やれ水洗トイレだとかを考える気持ちは分からないでもない。
しかし、自然を肌で感じる事をキャンプの一番の醍醐味と据えるなら、大きな邪道なのである。
「シャワーがないじゃん!」
「川で洗え!」
「トイレがないじゃん!」
「穴掘って土かぶせとけ!」
「椅子ないじゃん!」
「丸太を探せ!」
「電気がないじゃん!
「月明かりを頼れ!」
くらいの勢いがないと、真の
キャンパー(自然愛好家?)にはなれないだろう。
地震のあった新潟のことを、キャンプ中にふと思い出す。被災地では水不足になった事もあった。オレは今ビールをおいしそうに飲んでいる。テントというプライベートスペースがここにはあるけど、避難場所の体育館にはそんなものなかった。ここには
シャワールームもあるし自由に用を足せるトイレもある。
贅沢。
管理人の常駐するキャンプ場は、シャワーにトイレに炊事場と邪道だらけだが、邪道な充実があるからこそ、気軽にキャンプが楽しめるのは事実である。だからそこに葛藤がある。
オレにとってのキャンプは、しょせん現代人の贅沢娯楽の域であるから楽しめている事を分かっている。だからなかなかそこから抜けられないのだ。
完全に抜けきって、路上生活もまずいけど。