『お前が溺れてもお父さんは絶対にお前を助けない。こっちまで巻き添えになるからね。助けに海に飛び込むのではなく、助けを呼びに陸を走るが最良の対処法である』
親父は小さいオレを連れ、よく海水浴に繰り出した。そして決まってそう言っていた。
溺れるものはわらをもつかむと言うように、パニックになった人間を助けるというのは逆に自殺行為なのだという。
その光景は想像に難くないが、息子のオレも見殺しか!と、内心おさなごころに感じた。高波の海水浴場でも親父と一緒なら安心感に満たされていたが、気休めだったのか!
三陸海岸のとある海水浴場。中一の頃のオレは沖の方にあったテトラポットの山に向かって泳いでいた。
先に親父はそのテトラポット群に到達していて、
「こっちまで泳いで来い!」
と言っていたからだ。
結構な距離を泳いで到達したオレを親父は褒めてくれた。
テトラポットの山をよじ登り親父の方まで近寄ろうとした。
しかしあともう一歩のところでオレは足を踏み外した。テトラポットにぶつかりながら、真っ逆さまに海へと転落したのだ。
複雑に海中に入り組んだテトラポットのブロックは、その隙間に人間が落ちてしまうと死体も上がらないのだという。だから充分気を付けてと親父からよく言われていた。そこへ落ちたのだ。
背中から海へと落ちていく13の夏。ああ、今日で死ぬのか。おふくろサヨナラ親父元気で、どうかオレを助けないで。今日から魚に生まれ変わります。
落ちて行く時はスローモーションだった。
上空は透き通るように青いとか、砂浜の方で母親が日傘を持って立っているとか、驚いた表情の親父が声を上げたがなんて言ったのかなとか、色々をその一瞬の落下中に考えられた。
親父の驚いた声の次に聞こえたのは、海中でオレが包まれた水の音だった。
オレはテトラポットにぶつかりつつも、運良くその下にもぐりこむ事はなかった。
海水でふやけた両足はテトラポットにぶつかり、深く裂けていた。
「大丈夫か~!」
と言って親父の差し伸べる腕につかまり、やっと海中から引き上げられたのだった。
今も足の傷跡を見るたびに思い出す。海に落ちた時の恐怖は全く思い出さない。
海でお前を助けないと言っていた親父が、すぐにオレへ差し出した腕だけを思い出す。