誰もが名前を知っているがその全貌は謎に包まれている銅像、
二宮金治郎。ながら歩きの元祖と言われている←ウソ付け
しかしそれはあながちウソではなく、最近では座って読む銅像に切り替えられているケースも!やはりナガラ問題の影響のようだ。
●改名後の尊徳はそんとくではなく「たかのり」
●金次郎ではなく「金治郎」が正しい
●身長180センチ強で体重は94キロ、大柄で知られる西郷隆盛(179cm)よりでかい
●農民出だが出世して武士(小田原藩士)となったのだから、やはりすげえ
●おなじみのスタイル、薪を背負って読書をしていた事実は信憑性が薄い模様・・・
●地域に貢献する農民を推奨する政策をとっていた当時の日本政府が二宮金治郎を推し、銅像を全国の小学校に作らせた
●尚、石材業者と政府が癒着していたので全国展開出来た(昔もいまも変わらんねそういうの)
●戦時中の金属供出により金治郎像もその対象となった
●戦時中の供出の際には「壮行式」と称し、戦地に赴く兵隊を送り出すようにたすきをかけた
●児童が像の真似(ながら)をすると交通安全上問題があり、1970年代以降は校舎の立替時などに徐々に撤去、像の数は減少傾向にある
●時代が違い、「児童の教育方針に合わない」などの理由で破損しても補修に難色を示す教育委員会もある
●夜中に金治郎が校庭を走っていたという都市伝説は全国的に定番である
金治郎像の減少は保護者からのクレーム、「歩きながら勉強するのを子供が真似したらいけない」も理由のひとつのようだ。
百姓に学問は不要といわれていた時代、それにもめげず勉強をした金治郎のように勉強を頑張ろう!(信憑性が無い事実はこの際おいて置いて)って子供に諭すべきなのに、何でもかんでも結びつけてクレームにするなよ。
金治郎像は苦境を物ともせずに成功した、象徴でいいのだ。
もちろん、ながら勉強は車社会の今の時代にはそぐわないが。と付け加えるのは言うまでもない。
平時の座り金治郎を建てる意味あるのかよ!