現実ではないのに、なぜそれをぎりぎりまで信じられず、苦しく悲しみながらも、保身に走ってしまうのか。現実でも自分は同じ行動をとるのではないか。
今朝も見てしまったのだ、死体遺棄の夢を。
罪悪感に満ちながらもオレは、その死体のありかを知っているのに、またもや平静を装っていた。
しかも今朝はいつもと違っていた。遺棄した相手はまだ生きていて、地底から助けを求めていたのだ。池袋西口か八戸長横町地下の、突き落とした下水の暗闇から。
その声を、オレは聞こえないふりをしている。聞こえないふりをしながら池袋か長横で飲んでいる。声が誰かに聞こえないかと、とてもビクビクしながら。
そして早くその声が絶えればと思っているのだ。ばれる前に、そいつが早く死なないかと!
そいつの苦しみ、悲しみよりも、自己の保身に走っていた。
ここでいう保身とはなんだ。殺した事への後悔、それを背負う十字架との戯れからの逃げではないか。
前から自己分析しているように、オレが殺して遺棄したのは、過去のオレ自身だと思っている。
今朝は、殺したはずのオレは生きていた、いや、生き返った?今さら生き返ってどうするんだ。そしてその現実に、周りに感付かれないように、あれ、自分自身にさえ聞こえない振りをして?
違う、違う、そんなんじゃない。でも、夢に見てしまうという事は、深層心理は・・・
こういう時に自己を奮い立たせんが為の文句じゃなかったか、『DRIVE AFTER DEATH』 (死の後に駆動しろ)
夢見の不思議 1 ゾンビに追いかけられる夢、死体遺棄の夢夢見の不思議 3 遺棄されたのはロック感染以前のオレ自身?