あと何年生きるんだろう。誰にも分からないし、分かったとしたら凹むだろう。明日死ぬのも悔しいが、長生きする未来は不安に襲われる。死活問題は二重苦かもしれない。死ぬも生きるも楽ではない。
そういえば四月の祝日って29日だけなんだな。
祝日は産婦人科も割増料金で高かったんだから、あんた早死にするんじゃないわよと言われ続け三十余年。今日も生きて新しい歳を迎えられた。
明日死んでも後悔が無いように、長生きの不安を払拭できるような明日を作り続けよう、な~んて、うっせーな、頭では分かってるわ。
とりあえず生きていればとか、せめて健康であればとか、誕生日毎に思うのかもしれないが、それも毎年タイムリミットが狭まっている。恐い、死にたくない。でも階段の段はその内無くなる。そして、それは周囲の人や物も同時進行だ。
両親、叔父伯母、いつまでもあると思っていた母校、好きだったラーメン屋、乗り潰したバイク、年上のあの子、あの時のままの親友、どれもこれも終わりなんてなければいいのにな。いや、終わりを意識するから尊いのか。
そんな不安を抱えて生きるのが人間なのかな。大人なのかな。そのうち一人になるかもしれない、でも一人でもやっていける自信を持てるのが大人なのかね。
そもそも大人ってなんだ。大人らしく生きるってなんなのだろう。答えを明確に提示してくれる人はいないのか。
最終的には自己完結、自己処理で自分を言いくるめるしかないのだろう。生まれるときも死ぬときも一人ってこういう時に実感するな。
死活二重苦の自問自答をする一日として、今日を大事に過ごしたいと思う。そしてそんな苦悩も生きている今があればこそ。
生きている事に感謝と固執をしつつ、いずれ答えを出してから死にたい。
死肉(2013)
④②⑨(2012)
ⅣⅡⅨ(2011)
四二九(2010)
429(2009)
両親からのバースデーメールに追い込まれる(2008)
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