流行り重視の没個性が、やはり資本主義的なのだろうか。
ルナシーが出た時に同じようなバンドが乱立し、いや、オレたちは昔からこうだった(ルナシーのフォロワーではない)と、皆主張していた。
フォロワーとは、悪く言えばあやかり商法をする人たちである。便乗、追随、という言葉もあてはまるだろう。
余勢を駆って自分も同じような事をやり、ルナシーを超せないまでもそこそこ注目される事を目指すか、いや、オレはそんな偽りなんかはイヤだと、ぶっ飛んだ個性で唯一無二を追求し大ブレイクするか、そこは運命の分かれ道に思う。
後者の道は誰からも相手にされないというリスクは伴うが、心偽って、いちいちルナシーぽいと言われてキレつつやるよりも、すがすがしいと思う。
それと同じような状況というのは他のジャンルでも当てはまる場合が多くて、最近オレが思うのは、つけ麺が流行っているからってオレもオレもな雨後のタケノコ状態ってどうなのかという事だ。
流行っているつけ麺界で頭一つ抜きん出る努力をする方が、得策なのだろうか。
唯一無二の個性的な味を追求するのが真のラーメン道だと思うのだが、やはり経営と夢の両立は難しいのかな。つけ麺界で№1を取るという夢でも別にいいのか。
流行ってるつけ麺であわよくばオレも・・・という軽い店ばかりではないと思うのだが、こう右へ倣いの店が多いと、例のルナシーフォロワーバンドの乱立を思い出してしまう。
ニルヴァーナがブレイクした時も、似たようなグランジ系バンドが世に沢山出た。ブラフマン・ハイスタに続けとばかりのバンドがライブハウスを占拠し、幅を利かせていた。
しかし大もとを越えるバンドは出なかった。もしくは短命だった。
ニルヴァーナぽいとかブラフマンぽいとはイメージ出来ても、そのバンド名まで覚える事はなかっただろう。
フォロワーは結局フォロワーでしかなく、元々追随なわけだから、その大もとを越える事はない。
つけ麺の大もとはどこかも知らないし興味もないのだが、きっと流行りが去ればつけ麺界にも同じような風が吹くのだろう。
まあ、オレは昔ながらの中華そば至上主義なので、つけ麺だのギトギト背脂系だのは早く過ぎ去ってほしいと、日々切望している。
ちなみに先の日記で、「その食べ物のうま味を最も引き出し得る食べ方」の重要性を書いたのだが、つけ麺こそがそれに長けているらしい。
麺と汁を分けることによって、両方をしっかりと味わえるのだとか。
つけ麺店の林立に否定的だったり魅力を感じていない時点で、オレも食通としてはまだまだなのだろうか。
14日の土曜日