「がんばろう」の多用に賛否両論があるようだ。
オレの考えとしては、被災地の人同士が励まし合う言葉ならいいと思うが、被災者でもなく311以降も大して変化のない生活を送っている人間が使う言葉ではないと思う。
なんとなく上から目線じゃないか。
被災者の辛さとか前に進もうとする気持ちと葛藤なんかは被災者にしか分からないのに、よく分かりもしないのに取り合えずがんばろうがんばろうって。
オレだったらこの妙な地震の原因究明に自分ががんばりたいと思う。被災者にがんばれって言ったらあなたはなにかがんばってますかと、逆に突っ込まれそうである。
やはりそういうところは被災地では敏感で、昨日のデーリー東北にはこんな記事が載っていた。
岩手県の道路沿いに「顔晴れ」の立て看板がある。現地住民の手作りだとか。がんばれと読むようだ。
『津波に遭いながら支え合って懸命に生きている被災者の心情を思えば、「頑張れ」は使えない。だから住民は「顔晴れ」にしたに違いない。沿岸部から離れた山あいに暮らす住民が看板に込めた気持ちはひしひしと伝わる』と、解説が続く。
天鐘(2011/07/05掲載)
頑張る、ではなく顔晴る、なかなかこの状況では難しいけど前向きに行くしかないと言うことか。
瀬戸内寂聴さん風に言えば、良いことばかりが続くことはなく、同じように悪い状態が永久に続くこともない。どん底の場所に落ちても人は無常を思い、辛抱を貫き通すしか術がない。
希望をもって前向きに被災地の人が顔晴れるように、復興支援が潤沢に行き届きますように。いや、行き届くように頑張れよ、頑張るのはかん、あなたでは。
米の手先のオフェラ豚かんじゃあ望み薄かね。
フルメタルジャケットのハートマン軍曹、動画発見!!!!