大変な事になったものだ。
昨日、両親に連絡がついたのは22時近くだった。
うちは内陸の三戸郡で津波の心配もないし、かつて、はるか沖地震で震度6を経験しているから大丈夫だとは思っていたが、ニュースの悲惨さを垣間見ると不安になってきたのだ。
余震が今回、異常なほどだったし。
何度かの電話でやっとつながった。
お袋もオレの電話に出るなり、あ、やっと電話つながったと、ほぼ同時に言った。
停電の暗闇の中、家族でカップラーメンでしのいだようだ。妹と姪もうちの実家に避難していたようだった。
何度も余震がきて、うわっ今も来た!と電話中にお袋。
「八戸港の映像見たけど、壊滅的だったよ!」
「テレビが(停電で)見れないから分からないけど、そんな酷いんだ?」
後ろの方で父親が大きな声で、
「宮城で300人も死んだと~!」
「ああ、もう日本沈没だよ~最悪だよこっちは」
停電で携帯の充電が出来ないから、
「あ、バッテリー切れそう。何かあったらお父さんの携帯に」
とお袋は矢継ぎ早に続けた。
簡潔な生存確認で事を済ませ電話を切った。妹と姪は怯えながらも先ほど就寝したと言っていた。
とりあえず両親と妹と姪の無事だけは確認できた。
しかし親戚が三陸や福島や六ヶ所村にもいて、その安否は?
なんせ昨日は度重なる余震、停電による電話不具合、中々つながり辛い状況ということで、それすらままならなかったのではないかと推測している。
あまり根掘り葉掘りを聞けないような状況であった。
とにかく、安否の分からない親族については心配の極みである。